ローマ人への手紙1:19【神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められているので、彼らに弁解の余地はありません。】
この手紙はパウロがローマの教会宛てに書いた手紙です。パウロはまだこの教会に行った事がなかったのですが、第3回伝道旅行の終わりに書いた手紙であると言われています。
ローマの教会というのは、五殉節(ペンテコステ)の日に、弟子たちの上に聖霊が降り注がれた、その驚くべき奇跡体験を目の当たりにした人々の中に、何らかの理由でローマに行く人達がいた、その人達によって作られた教会であると言われています。ローマの教会にいる全ての信仰者(ユダヤ人、異邦人)に向けて書いた手紙です。
「彼らに弁解の余地はありません」、ここを読むと、少し厳しい口調で書かれている感じがします。議論を得意としたパウロの特徴が出ている文体だなぁと感じます。イエス様、神様の存在を認めない人たち(「彼ら」)に向けた、議論調の文体になっているんです。
パウロは「見てください、この自然界を。神が造った以外考えられないし、あなたたちもそれを認めているじゃありませんか」こういった感じに聞こえます。
ここに書かれている被造物とは自然界の事です。僕はこれを読むと、まず最初に頭に浮かぶのが、動物です。
先週のメッセージでも読まれました。ルカの福音書3:22【聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」】
聖霊のイメージを鳩に例え、表現している、素晴らしく、美しい箇所だと思います。鳩はノアの方舟の時も出てきます。他にも、聖書には様々な動物たちが登場します。意外なところでは、「ダチョウ」とか「ハリネズミ」とか。
聖書に出てくる動物シリーズで僕が一番好きなところをお読みします。
箴言30:26【岩だぬきは強くないものたちだが、その巣を岩間に設ける。】
岩だぬき(ハイラックス)。昔は南ヨーロッパから中国全土まで生息していたらしいですが、今現在はほとんどアフリカにしかいないそうです。日本ではお目見えしません。なんとも情けない顔というか、地味なルックスですが、好きです。
この箇所(箴言30:26)はイエス様が山上の説教で弟子たちに語った、マタイの福音書6:26【空の鳥を見なさい。種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養ってくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。】
この御言葉とつながります。鳥ですら、神様から生きる知恵を与えれているのに、人間にとって必要なものを神様が与えないわけがない。
強くない、弱い岩だぬきだけど、岩間に巣を作って、敵からの攻撃を逃れる手立て、知恵を神様から与えられているんだという御言葉です。
ここで、マタイ6:26には「あなたがたはその鳥よりもずっと価値がある」と書いてあります。ここだけ読むと、動物を卑下している感じを覚える人がいるかもしれません。
しかし、神様はそうは言っていないのです。創世記を読むと、天地創造において、神は天地を造られた後、五日目に動物たちを造られました。そして、六日目に私達人間を造られこう言います。
創世記1:26【神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」】
「地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう」と書かれています。“支配“という言葉を聞くと、やっぱり制圧的というか、上から目線の様な感じがして、動物好きの人は不愉快になりそう、、いや!違うんです。その次の説をお読みします。
創世記1:27【神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。】
天の父なる神は、私達人間を、動物とは違う、「ご自身のかたち」として造られたのです。動物たちより、偉いとか、凄いとか、尊い、ではなく。「違う者」」として造られているのです。
どう違うのか。それは以前にもお話しした事がありますが、「神のかたち」というのは文字通りの形、姿という意味ではありません。神様と意思の疎通ができる、お互いの気持ちが分かり合える、という事です。
私達は聖書の御言葉を通して、神様と会話ができる、祈りを通して意思を伝える事ができるのです。岩だぬきは祈りません。人間には聖霊が与えられているのです。動物には魂(プシュケー)があります。しかし霊、聖霊(プネウマ)はありません。この事については次回のメッセージで詳しくお話ししようと思っています。
その聖霊を動物である鳩に例え表現する。(ルカの福音書3:22)素晴らしいと思うと同時に、動物と人間の関係の深さを感じます。
僕は個人的に動物園にいる動物に魅力を感じません。本来、動物たちというのは自由です。人間にも同じことが言えるかもしれません。
本当の自由とは、神様の道を生きる事です。やりたいようにやるのが自由だと思ったら大間違いです。聖書には「真理はあなたがたを自由にする」と書いてあります。
動物を見た時、これは神が造った者たちなんだなぁと思うと、可愛さが倍増します。花や草、自然界そのものに神の愛、、偉大さを感じざるを得ません。
昔から人は、特に日本人は自然を神とします。自然は神ではなく、神が自然をお造りになられたのです。アーメン!
動物は可愛いです。特に赤ちゃんは。よく、小さい犬を抱えながら散歩している方を見ます。ベビーカーに子犬を乗せている人を見た事があります。しかし!逗子福音教会の大スター、ユウくん(赤ちゃん)を見て下さい。この可愛さを感じる時、人間の赤ちゃんには到底敵わないなぁ、、とつくづく思います。ここに、人間と動物の決定的な違いを感じずにはいられません。
その愛する我が子を、神は私達人間の為に十字架にかけて殺した、、どれだけ人間思いなのでしょうか。ルカの福音書3:22には聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」とあります。
愛する我が子を十字架にかけ殺したのです。
そして復活され、今、聖霊様と共に生きているのが私達人間です。
今日の聖書箇所には、自然を見れば神様がわかるでしょ、と書かれています。しかしこれだけでは、「本当のこと」、たった一つの揺るがない真理を知るには不十分なのです。先程も言いましたが、人は自然を神格化する。多くの人は、神の存在はなんとなく感じている、どこかで認めているように感じます。
預言者イザヤは偶像を拝む、イスラエルの民にこう言います。【だれが手のひらで水を量り、手の幅で天を測り、地のちりを升に盛り、山々を天秤で量ったのか。もろもろの丘の秤りで。】イザヤ40:12
イザヤはここで、神の創造の力、その不思議なわざについて語っているのです。今日の聖書箇所に【ローマ人への手紙1:19】の後に、このイザヤ書をつなげて読むと、ピッタリ当てはまると僕は思いました。
自然を見るだけでは人々は本当の事を知る事ができません。不十分なのです。神が造られた被造物、それは私たち人間が「支配」するように造られたものでしたが、最初の人、アダムの犯した罪の為、神様との関係が崩れ、支配しきれない状態になってしまいました。
創世記3:17~18【また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。】
動物たちは人間を襲います。虫は刺します。様々な自然災害、気候変動、数えきれません。畑作業を行なった事のある方ならお分かりになると思いますが、雑草との戦いです。害虫との戦いです。除草剤、農薬によって、その戦いに勝ったかのように思えても、今度は薬害という問題が私たちを悩ませます。
私たちは、神様との関係を「回復」させなければならないのです。
その為にイエス様が十字架にかかって死なれた。そして復活されました。回復するため復活されたのです。KING OF KINGS R&R イエス・キリストだけが、真理の道であり、この方を通してでなければ、救いはないのです。
私たちは「造られた者として」、神によって造られた、被造物代表としてイエス・キリストを証しする者でありましょう!
